各々が各々の行動を・・

7月28日に、一人語りのライブが予定されている。

集まってくれるお客さんは、一昨年同様に高齢の人たちだろう。

自分の表現を、人が聞いてくれるという絶好の機会を得て、

テーマをどのようにまとめていこうかと悩んでいる最中だ。

キーワードは「海」。

「海」によって生かされてきた島の人達に、もう一度「海」を思い出してもらうこと。

そのテーマに見合う「民話」はいくつもある。

「海」の恵みがなかったら、島の人々の人生もなかったのだから、

まず、そのことをアピールしよう。

今ほど、このテーマがしっくりくるときはないとさえ思う。

放射能の海洋汚染は、地球規模で広がってしまっている。

時間がないけれど、「海」について思い続けよう。

その一方で、連れ合いが新しいカメラを買った。

いい写真を撮ってほしい。どんどん、連れ合いの感性のままに撮り続けてほしい。

これは連れ合いの表現の形、連れ合いしかできない表現の形だ。

が、各々の行動を、躊躇わずにとって先へ進んでいこうと、っている

 

 

 

湿度上昇中

土曜日は、たいていダウンしています。

月から金までは仕事で若い人に元気をもらっているからということでしょうか。

田舎の、山の中の、古い家を借りて2年半、なかなか厳しい住環境です。

こういうのを経験しながら、生きて暮らしていくってことの本当の意味を

実感するのでしょう。

少なくとも私は当事者です。貧しい暮らしをしながら、

重荷をたくさん背負った若者たちと勉強したり、語り合ったりしながら

一緒に歩いていくことが、ほんの少しでもできているから、

「ふざけちゃいけない、人間らしく扱えよ」って、叫ぶ声にも実感がこもります。

いよいよ、この国は瀬戸際でしょう。どうやって、対応していくかが問われています。

 

大雨

九州は大雨でした。まだ続いているところもあって、予断を許しません。

4月に熊本の大地震があって、それからは、大雨などが頻発して

相当大変でした。

家の中は、湿度が高くて、除湿器がすぐに満杯になります。

歩くとべタベタと足の裏に水気がつきます。

一昨日の夜などは、緊急持ち出し袋を準備して眠ったくらいです。

天災が次々に襲います。

緊急事態なんて、現権力に言わせず、行動させずが重要です。

さもないと、とんでもないことが起こってしまいます。

 

 

 

負けてもいられない

そういえば、私は喧嘩好きだった。

決して喧嘩は売らないけれど、売られた喧嘩はやっぱり買う。

なんだか物騒な話だけれど、生きることは大変だから・・・

右なのか、左なのか、上なのか、下なのかは、はっきりさせよう。

もう、壊れかかった国で、壊れ切った主張を聞かされることに

うんざりしているっていうのが本音のところ・・・。

 

 

生きている今・・・

 手のひらではなく、手の甲を見つめていると、

あまりに皺だらけで、老人になってしまったことを

思わないではいられない。

 それはそれで自然なことだとは思うけれど、やっぱり

何をしてここまで歩いてきたのかなと思ってしまう。

そればかりではない。もう、時間は戻っては来ないのだと、

寂しいような思いも、心をよぎる。

 いよいよ、命を終える日が来るという自覚が、現実味を

帯びてきたということなのだろう。それは、今日まで二度も

乳癌になった経験をしたが、あの時の感じとも違うものだ。

 もちろん後ろ向きの話ではないが、様々なことについて、

「意欲」が薄らいでいっているのは確かなこと。その一方で、

次世代につなげるという何かを、口先ばかりではなく、

具体化していくことが求められているということなのだ。

 これは、面白いことになってきたなと思う。自分の人生の

途中経過を自分自身で再認識することができるという経験を

今、私はしているということだ。

 思い返せば、私はいつもそんなことがやれたように思う。

これは、それなりに特異な能力かもしれないと、一人で勝手に

思ったりしているところだ。

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与作はいま・・・

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与作は弱虫猫、でも、我が家の猫にはふさわしい。弱虫だから、近所のボス猫にいじめられて、大怪我することも、時々あった。

それでも、家族の一人として、一緒にいてくれることがうれしい。こちらは「日本語」でしゃべりかけるが、与作は「ニャー」という音をベースに、それに様々な抑揚をつけて語りかけてくれる。

それは、与作とそのほかの家族、与作と「チビスケ」の関係でも同じことだ。

さて、地震や土砂崩れに襲われたら、「与作」と「チビスケ」をなんとか守りたい。

とはいうものの、その時が来なくては見当もつかないというのが本当のところだ。

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いよいよ地震の活動期を自覚

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地震の活動する時期にもうとっくになっていた日本、そして世界も。

でも、人間て愚かなもので、なかなかそういうことが自覚できずに

今日にいたってしまったという感じだ。

生きられるのか、それともダメなのかということだけれど、

やっぱり生かされている限り、生きようと思う。

そこで、生活それ自体を、ほんの少しずつでも、

非常事態に合わせていくということも大事なことになる。

余計なものを買ったりして、それが生きることの邪魔にならないようにしたい。

楽しくない人生を送るということではないが、無駄なものは持たずに

命について考え抜く。そういうふうに、いつだって考え続けていたい。

天災は、人間の本来的な時間を与えてくれているだけのこと。

これが、人間が生きるということだ。

だから、心残りを作らないで、しようと思っていることはできる限りしておく。

そんなことは今更のことではないが、ますます現実味を帯びてきた

危うい人間の生においては、そう思って行動することは大切なことだから。

この連休、勉強をする。あまりしすぎてすでに体調を壊したりしているけれど、

集中力がやたらにあって、楽しさを感じながら、勉強机に向かっている私。